起業、鬱、30歳で収入0…どん底から這い上がった“情熱”社長の半生

僕の半生を話したいと思います。

中学1年生の時、父親の会社の倒産から一家離散を経験。運命的な出会いがあり、大きい志を持って、就職したものの成績は最下位からのスタート。

心を入れ替え、ひたすら行動した結果、トップ営業になり、部署を任されるまでになりました。そこから初めての起業をしますが、失敗に終わり、鬱を経験しました。

もう一度転職活動を始め、強い想いを持って外資系保険会社に入ったものの、ひたすらサボり、副業の方に力を入れていました。

自分の存在意義がわからなくなり、本業、副業、両方辞め、30歳で無職・無収入という人生のどん底を味わいました。

『僕』という、一人の男の半生を赤裸々につづります。

最終更新日:2018年7月27日
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佐々木 英雄
執筆者

佐々木 英雄

2013 年、株式会社しるべを設立。大学生を主な対象に、即戦力人財育成のための教育事業を無償で提供。創業以来約 500 名に及ぶしるべの卒業生の就職内定率は 100%。親身に学生に接することから、指導を受けた学生に、「情熱が服を着て歩いている」と言われるように。 しるべの教育カリキュラムは実践環境と座学を通じて、徹底的に“結果にコミット”する力を養い、「目標設定力」「挑戦するメンタリティ」「自己分析力」を高い次元で習得させることが特長。

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【13歳~20歳】父の会社の倒産、一家離散へ

僕が小学生までは、順調な人生を送っていましたが、ある出来事が今後の人生に大きく影響を与えます。

それは、父親の会社の倒産です。僕が中学1年生の頃です。

それまでの生活が一瞬にして変わりました。正直な所、僕も当時のことをよく覚えていません。

人間、本当に辛くて怖い経験は、忘れてしまうようにできているのだと思います。

そこから父親を「家族をバラバラにした張本人で、親戚一同にも迷惑をかけた人」という認識で見ていました。

一家離散してから父親と暮らしていて、父親は睡眠時間は3~4時間くらいで、昼も夜も仕事をしていました。

僕はその様子を見て「こんな人間には絶対にならないぞ」という強い思いを抱いていました。

父親の認識が変わったのも30歳になって、ようやく落ち着いて話せるようになってからです。

全部失って家族もバラバラになってお金も失って、お金を稼げる仕事でもなくて夢もなく、わずかな睡眠時間で自分たちを食わせるために働いてくれてた。

これがどんなにすごいことかというのを、今になってようやく理解しました。

高校受験で失敗、大学ではなくフリーターへ

高校受験では絶対に公立に行かなければなりませんでした。倒産もあり、家にお金はないのに、僕は3人兄弟の長男で、下に2人います。

しかし、現実は残酷でした。

結果として公立には落ち、私立に行くことになり、親が汗水たらして稼いでくれたお金を、無駄に使わせてしまいました。

大切なお金を使わせてしまい、「ここまでして学校に通う意味は何なのか?」「なぜ勉強をするのか?」ということをずっと考えていました。

毎月たくさんのお金を使わせて、そこまでお金をかけてもらって自分はそこまで勉強する意思はなく、当時はどれだけ考えても意味を見出せませんでした。

ただ、なんとか高校を卒業することができました。

そして大学に上がったとしても、大学4年間で数百万円の学費を使わせる意味はないのだろう、と考えていました。

周りの友達に「なんで大学行くの?」と聞くと、「みんな行くから」「行ったら何かわかりそうだから」という返答が返ってきました。

僕は言葉を失いました。

「みんなは親のお金をなんだと思っているのだろう。確かに僕の友達たちは、家にお金の余裕があるかもしれない。でも、本当にそれでいいのか?」

僕はずっと疑問に思っていました。そうして、僕は大学に行かない決意を固めました。

しかし、高卒で就職して働いてるのかと思いきや、何をしていいか分からず、卒業してからはフリーターになりました。

色んなことを思っていましたが、結局、何もしていなかったのです。

フリーター生活は楽しかったですが、「オレ本当にこのままでいいのかな?」と心の中でずっと思っていました。

人生を変える出会い

そのまま2年が経ち、その時もまだバイトをし、フリーター仲間と遊びに行く、という生活を続けていました。

しかし、20歳になったことをきっかけに、僕は仕事を探し始めます。

詳しく話すと、20歳になった瞬間、周りからの見方が一変しました。

家族からは「ずっとフリーターを続ける気?」と言われ、当時付き合っていた彼女の親にも「将来はどうするの?」と心配されるようになりました。

ただ、そんな状況から抜け出そうと決意しても、僕がしたことと言えばコンビニの求人誌を立ち読みし、フリーペーパーを持って帰る、ただそれだけでした。

その当時の自分はどんな会社を探していたかと言うと、
①ひたすらお金が稼げる会社
②定時で上がれる会社
の2点です。

そんなある日のこと、同じようにコンビニで求人誌を立ち読みしていると、ある広告が目に止まりました。

「19歳:月収45万円」

僕は最初、意味が分かりませんでした。なぜなら、僕のバイト代の最高月収が15万円だったというのと、自分より年下でこの金額をもらっているということです。

僕は仕事内容も何も調べず、電話をしていました。そして面接をしてもらうことになります。

この何も考えずに電話をした会社が、人生を変える出会いをする、1社目の会社になるとは1ミリも予想していませんでした。

僕は「社会勉強になればいいなぁ」「月収45万円の正体を知りたい!」という安易な考えを持って、面接に挑みました。

その面接で何を話したかは全く覚えていませんが、一つだけ覚えていることがあります。

「目の前に現れた人が、めちゃめちゃかっこよかった」ということです。

その人は26歳にして九州支社長に任命され、月収300万円を稼ぐ優秀なビジネスマンでした。

僕は会った瞬間、「この人だ!」と思いました。この人になれたら人生が変わる!、心の底からそう思いました。

しかし、僕は「1社目でこんな良い会社に出会ったのだから、このままやっていれば他にもっと良い会社に出会うだろう」という理由でそこで働くことを一回断りました。

そして、またコンビニで求人誌を立ち読みする日々を送りますが、1社目以上の好条件の会社は見つかることなく、1か月が経っていました。

考えた結果、もう一度あの支社長に会うことを決め、「目の前に座ってるこの人みたいになりたい」と確信し、その会社に入社することを決断しました。

【21歳~26歳】最下位からトップ営業へ、そして起業

会社のお荷物の中のお荷物

支社長に憧れて入社を決意しますが、入社してからこの会社が2年目のベンチャー企業で営業代行をやっていると初めて知りました。

その会社にいる人はみんな若く、「起業したい」「社長になりたい」「絶対に年収1,000万稼ぐ」というようなことを言っていて、僕は本当に驚きました。

僕が所属していたのは九州支社で、他にも大阪と金沢にも会社がありました。そして大阪で行われた全社会議に参加しました。

そこでトップ営業マンの人たちが手渡しで多くの給料を渡されているのを見て、本当に衝撃を受けました。

「結果を出せば、本当に人生が変わるかもしれない」

そんな考えを最初は持っていました。

しかし、最初の3か月くらいは「人生変えてやる!」と頑張っていましたが、先輩たちの悪い癖が移り、次第にサボるようになっていきました。

環境は本当に大事です。

その結果、まず業績が悪すぎて九州支社は1年でつぶれます。そしてそういう状況でサボっていたので、その業績の悪い九州支社の中でも僕は最下位でした。

そして九州支社はつぶれましたが、その時社長が東京支社を立ち上げ、社長自ら東京に乗り込んでいくということになりました。

そして、社長と面談をし、「そこで本当にやる気のある人は一緒に東京に行こう」という話を受け、入社時抱いていた「人生を変えようと思って就職したんだ」という想いを再燃させ、お荷物の状況から本気で這い上がりたいと思いました。

そして東京支社に行くことを決断します。

東京支社に移り、トップ営業マンに

その東京支社で任された仕事は、飛び込み営業でした。その時自分は「ここでやらなければ人生終わる」と思い、ひたすら行動し続けました。

みんなが100件アポを取るなら、自分は200件300件行い、周りはタバコ休憩で休んでいる時も、休まず走り続けました。

その結果、部署のリーダーが一日5件取ったらすごい、と言われていた中、1日20件という数字を出し、1ヶ月に354件の契約を取ることが出来ました。

当時は朝8時に出社し、夜中の1時2時まで仕事をしていました。

長時間労働を推奨するわけではありませんが、それだけ覚悟を持って行動しないと結果なんて変わらないんだな、というのを感じました。

そうしてトップ営業マンへと上り詰めた僕は、電話が鳴り響くことが多くなりました。誰からかというと、お客様からではありません。東京以外の支社の社員からの電話です。

「どうやったら件数を取れますか?」「数字を出すには何が必要ですか?」ということを、頻繁に聞かれるようになりました。

この経験から、「結果を出せばすべてが変わる」ということを確信しました。

「結果を出せば、周囲の自分に対する評価も変わり、扱いも変わる。何より仕事が本当に楽しくなった」と感じていました。

そして、それまで自ら指揮をとっていた営業部から社長が離れるということで、誰が営業部を統括するか、という話が持ち上がり、僕がその役割を任されることになりました。

マネージャーになり、紆余曲折がありながらも、組織としても結果を出すことができました。

初めての起業!待ち受けていた挫折

こうして入社してから4年2か月が経つ頃、何と会社が黒字倒産します。

僕の会社は営業代行を行っており、ずっと売上は挙げていました。しかし、自社の製品開発に経費をかけてすぎてしまった結果、商品を仕入れるお金が無くなってしまったのです。

その結果、黒字倒産することになりました。

僕は突然のことに動揺しましたが、当時の社長のご厚意もあり、キャリアカウンセラーや人材会社のエージェントから、とてもいい条件の会社を紹介してもらっていました。

しかし、僕はこれを全て断ります。

なぜなら、会社の尊敬する上司2人に、「一緒にやらないか?」と声をかけてもらっていたからです。

会社に勤めて毎月安定した給料が入ってくるに越したことはないと、当時の僕は思っていましたが、尊敬する上司2人と「自分の力を試したい!」というのが本音でした。

だから、就職するのを蹴り、上司2人に乗っかり25歳で会社をおこしました。

これが初めての起業です。

先に結果を伝えると、会社を立ち上げて半年も経たないうちに、自分1人だけ利益を出せなくなって、会社に居場所がなくなりました。

当時の社会情勢は、リーマンショックや金融危機が起きた頃で、それによって世の中の企業は広告予算を削り始めました。

会社としては広告に金をかけている場合ではない、広告に金はかけれない、と考えていたようで、今まで当たり前のように予算を落としてくれた企業が徐々に絞り始めました。

しかし、そういう状況でも上司の2人は予算を取ってきて、件数をどこからか必ず引っ張ってきます。頭を使って色んな企画や方法でお客さんの心をつかんでいました。

ただ、自分はそんな方法も提案力もありません。今まで自分はずっとがむしゃらに営業しかやってこなかったので、何もできませんでした。

当時は無意識的に、市場のせい、環境のせい、サービスのせいにし「何で自分だけこんなことになるんだ」と思っていました。

前の会社では、最下位からトップ営業になり、事業部を見る立場になり、組織としても結果を出すことができました。

その実績が、心に油断や傲慢さを生み出しているのは間違いありませんでした。

完全に天狗になっていました。

自分が結果を出せて天狗になれたのは、社長が全ての環境や商品を用意してくれて、全てお膳立てしてくれていたんだ、とこの時気づきました。

社会から完全に存在が消える…

こうして自分1人だけ利益が出せなくなります。

その結果、元々はとても仲が良かったのが、半年後、完全に挨拶が無くなりました。僕という存在が完全に透明になった瞬間です。

この社会から『僕』という存在が無くなりました。

小学校低学年はいじめられていたこともありましたし、反対に高学年はいじめていました。

しかし、この時、まだいじめられてる方がマシだ思いました。いじめられるということは存在があることだからです。

このような状況になると、体に影響が出てきました。

まず朝起きて体が動きません。僕は全力で起きようとし、体を動かします。けれど、体はびくともしません。

体がいうことをきかないのです。

僕の心は「会社に行っても自分の居場所は無い。件数も取れないし、もうどうすればいいか分からない」と感じていました。

心が病んでしまうと、体にも影響するのだということを始めて経験しました。

僕はこの時、「こうして人はうつになって、自殺していくのだろうな」と思いました。

こうして僕は、生きる意味を見いだせなくなっていきました。

こうなってしまった原因は、上司のせいでもお客さんのせいでも金融危機のせいでもなく、ただ自分に力や能力がなかっただけでした。

完全に自分のせいです。

約1年経ち、このままここにいてはならないと思い、自分から辞めますといって、会社を辞めました。

上司の2人からすると、逃げたように映ったかもしれません。

しかし、僕は精神的にだいぶ参っていました。

【27歳~29歳】僕は弱い人間

ベンチャーしか知らない転職活動

こうして僕は、3社目を探し就職活動を始めました。

学歴もコネもお金すらもない自分は、当時27歳で、ここで頑張らないと本当にお先真っ暗だと思い、もう一度自分を奮い立たせました。

そして、転職活動に3つの軸を持って臨みました。

①与えられるのではなく、自分で取り組んで成長する環境がある
②経済の流れを知り、お金の仕組みが学べる環境である
③未経験の大手企業に行き、回っている会社の仕組みを知る

というこの3つを軸として持っていました。

そんな中、エージェントに紹介されたのが、某大手外資系保険会社の社長さんでした。

保険には興味がありませんでしたが、社長から「保険は人生の節目で必要だよね」と言われ、しかもその社長は年収数千万ほど稼いでいるそうで、なおかつ、かっこよかったので興味を持ちました。

社長のように「かっこいい大人になりたい」と強く思った僕は、その会社に入社を決めようかと思いましたが、少し迷っていました。

理由は「完全成果報酬型の給与形態」でした。

これがずっとひっかかっていて、僕自身とても怖く感じました。最初の月は20万円前後のお給料で、月々下がっていき、半年後には0円になり、完全に成果報酬になります。

起業失敗後ということもあり、即答することはできませんでした。

それでも自分の本来の目的である3つは唯一揃っていて、踏み込めなかったのは給与のみだったので、「ここで腹をくくらなくてはどうする。人生変えるんだろ?」と自分に言い聞かせ、結局、某大手外資系保険会社に入社することを決断しました。

ひたすらサボってた保険営業マン時代

こうして、27歳から29歳まで某大手外資系保険会社でお世話になりますが、結果としてこの間全く働かなかったのを覚えています。

人生で一番働いていなかったと思います。

その理由としては、外資系の全てがそうではありませんが、僕の会社は成果報酬型で、やらなければ下げられるし、やったら天井なしで上げる、というものです。

そのため、完全放置プレイで放任主義ということが多く、毎日朝の朝礼だけあって、そこからフリーの時間になり、各々自由に営業活動を行っていました。

1社目のベンチャー企業では、上司とのロープレや研修もあったので、大きな違いを感じていました。

そんな中、僕がどのように働いていたかというと、半年を過ぎたころには朝礼が終わったらすぐに家に帰るか、もしくは漫画喫茶に行くしかしていませんでした。

「人間は性弱説である」という言葉もある通り、本当に弱い生き物だと思います。

僕がその典型的な例でした。

そんな自分は、放任主義の組織で行動しませんでした。

最初は「人生変えてやる!」と燃えていたのに、保険の営業マンは嫌われやすいということも重なり、徐々に熱意もなくなっていきました。

それでも、1か月のうちに数件は契約を取っていましたが、全く食べていけませんでした。

それからどうしたのかというと、仕事に力を入れ商談件数を増やしたのではなく、プライベートで飲み会やコンパを開きまくりました。

本業には全く力を入れず、他で小遣い稼ぎをしていました。

昼間はさぼりにさぼり、夜の副業に力を入れていました。当時やっていたパーティーで今のビジネスパートナーとも出会えたので、無駄なことはないと思いますが、どちらかに完全に振り切ることもなく、ずっと中途半端な日々を過ごしていました。

その理由としては、人間の本心的に本業からの収入が無くなったらどうしようと思ってしまい、辞めるに辞めれませんでした。

最初こそ、順調に二足のわらじを履いていましたが、徐々になぜ自分が今ここにいるのかが分からなくなっていきました。

お金はギリギリ生活できる程度に稼いでいましたが、バイトを結構やっていたので体力的にとてもきつかったです。

その結果、夜の時間帯のバイトも辞め、保険の仕事も首を切られる前に自分から辞めることとなりました。

【30歳】そして人生最大のどん底へ

無職・無収入のリアル

その結果として、30歳にして無職かつ無収入になりました。

100円のコーヒーすら買えない状況になり、借金をしなければ生活すらままならない状況でしたが、僕はすぐに仕事を探し始めることはありませんでした。

なぜなら、家で一人だったからです。仕事をしていなければ、出社義務はありません。

バイトもすることはなく、そしてひたすら自分に甘い人間だったため、仕事しなければならない、稼がなければならないと分かっているのですが、家の中には誘惑しかありません。

まさに、「人間は性弱説である」と改めて思いました。

朝起きて、「明日があるからいいでしょ、何とかなるよ」と思っていましたが、結局何も変わりませんでした。

そうして無職の自分はカード切りまくり、友人、知人、家族にもお金借りまくり、周囲に多大なる迷惑をかけまくってしまいました。

父親の会社の倒産から始まり、結構な失敗をしているのにも関わらず、最終的に30歳で一番のどん底に落ちてしまいました。

ただこれは、全て自分で引き起こしてしまったものです。1人だったから、何も行動できず、ただ無駄な時間を過ごしていました。

そういった人生のどん底の状況から、もう一度這い上がろうと改めて真剣に、自分には何が残っているのだろう、と考えてみました。

僕には、学歴はありません。お金を持っていなければ、守るべき家族もいません。よく切れる頭もなければ、新しいビジネスを生み出すこともできません。みんなが驚くような実績も持っていません。

そうして考えた結果、僕にはもう営業しか残っていないことに気づきました。

「営業力を使って、もう一度立ち直るしかない」そう確信し、覚悟し、重い腰を持ち上げました。

かろうじて某大手外資系保険会社時代に行っていたパーティーで、個人事業主や社長さんのつながりも持っていたため、その人脈をフル活用し、「何か僕に売らせてくれる商材があれば売らせてほしい」とそのネットワークで発信していました。

その結果、大学生向けにビジネスを教えている人と繋がり、「営業学びたい学生がいるから、そこで営業を教えれば?」ということを言われます。

この出会いが正真正銘、僕の人生を変えてくれた出会いでした。

【35歳】現在の僕

現在の僕は「しるべ」という会社で、学生を中心に人材育成の仕事をしています。

「自分の力で道を切り拓く力」を付けてほしい、少しでもその手助けができれば…と思い、「道しるべ」という言葉からヒントを得て社名を付けました。

今の学生は、本当に自分がやりたいことがわからない、という子たちが多いように感じています。

でもそれは、僕も全く同じでした。

僕はずっと強制的にやらされないと動けない人間で、常に誰かから機会をもらっていても、動けない時も多くありました。

人間は本当に弱い生き物です。

だからこそ、現在、僕に関わってくれている学生には、ずっと「行動しよう」というメッセージを送っています。

それは、自分と同じようになってほしくないからです。

今思えば、過去の経験は、今の自分にとって大切なギフトであるように思います。

なぜなら様々なことを経験した僕だからこそ、人々に伝えられることがたくさんあると感じているからです。

自分の人生を振り返ってみて、自分の力で切り開いてきたものではない、ということを確信しています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。僕の経験が、誰かのためになれば幸いです。

佐々木 英雄
執筆者

佐々木 英雄

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