起業、鬱、30歳で収入0…どん底から這い上がった“情熱”社長の半生

僕の半生をお話したいと思います。

中学1年生の時、父親の会社の倒産から一家離散を経験。運命的な出会いがあり、大きい志を持って、就職したものの成績は最下位からのスタート。

心を入れ替え、ひたすら行動した結果、トップ営業になり、部署を任されるまでになりました。そこから初めての起業をしますが、失敗に終わり、鬱を経験しました。

もう一度転職活動を始め、強い想いを持って外資系保険会社に入ったものの、ひたすらサボり、副業の方に力を入れていました。

自分の存在意義がわからなくなり、本業、副業、両方辞め、30歳で無職・無収入という人生のどん底を味わいました。

『僕』という、一人の男の半生を赤裸々につづります。

最終更新日:2018年10月15日
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佐々木 英雄
執筆者

佐々木 英雄

2013 年、株式会社しるべを設立。大学生を主な対象に、即戦力人財育成のための教育事業を無償で提供。

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【13歳~20歳】父の会社の倒産、一家離散へ

僕が小学生までは、順調な人生を送っていましたが、ある出来事が今後の人生に大きく影響を与えます。

それは、父親の会社の倒産です。僕が中学1年生の頃です。

それまでの生活が一瞬にして変わりました。正直な所、僕も当時のことをよく覚えていません。

人間、本当に辛くて怖い経験は、忘れてしまうようにできているのだと思います。

そこから父親を「家族をバラバラにした張本人で、親戚一同にも迷惑をかけた人」という認識で見ていました。

一家離散してから父親と暮らしていて、父親は睡眠時間は3~4時間くらいで、昼も夜も仕事をしていました。

僕はその様子を見て「こんな人間には絶対にならないぞ」という強い思いを抱いていました。

父親の認識が変わったのも30歳になって、ようやく落ち着いて話せるようになってからです。

全部失って家族もバラバラになってお金も失って、お金を稼げる仕事でもなくて夢もなく、わずかな睡眠時間で自分たちを食わせるために働いてくれてた。

これがどんなにすごいことかというのを、今になってようやく理解しました。

高校受験で失敗、大学ではなくフリーターへ

高校受験では絶対に公立に行かなければなりませんでした。倒産もあり、家にお金はないのに、僕は3人兄弟の長男で、下に2人の妹弟がいたからです。

しかし、現実は残酷でした。

結果として公立には落ち、私立の進学校に行くことになり、親が汗水たらして稼いでくれたお金を、無駄に使わせてしまいました。

大切なお金を使わせてしまい、「ここまでして学校に通う意味は何なのか?」「なぜ勉強をするのか?」ということをずっと考えていました。

毎月たくさんのお金を使わせて、そこまでお金をかけてもらって自分はそこまで勉強する意思はなく、当時はどれだけ考えても意味を見出せませんでした。

進路選択も同様です。

僕が通っていた高校は進学校だったので、みんな当たり前のように大学進学します。ただ、僕は、もし大学に進んだとしても、大学4年間で数百万円の学費を使わせる意味はないのだろう、と考えていました。

周りの友達に「なんで大学行くの?」と聞くと、「みんな行くから」「行ったら何かわかりそうだから」という返答が返ってきました。

僕は言葉を失いました。

「みんなは親のお金をなんだと思っているのだろう。確かに僕の友達たちは、家にお金の余裕があるかもしれない。でも、本当にそれでいいのか?」

僕はずっと疑問に思っていました。そうして、僕は大学に行かない決意を固めました。

しかし、高校を卒業した後、就職して働いてるのかと思いきや、何をしていいか分からず、卒業してからはフリーターになっていました。

偉そうに色んなことを思っていましたが、結局、何もしていなかったのです。

毎日夏休みのようなフリーター生活はそれはそれで楽しかったのですが、「オレ、本当にこのままでいいのかな…」と心の中では、ずっとそう思っていました。

人生を変える出会い

そのまま2年が経ち、その時もまだバイトをし、フリーター仲間と遊びに行く、という生活を続けていました。

しかし、20歳になったことをきっかけに、僕は仕事を探し始めます。

20歳になった瞬間、周りからの見方が一変したのが一番の理由です。

家族からは「ずっとフリーターを続ける気?」と言われ、当時付き合っていた彼女の親にも「将来はどうするの?」と心配されるようになりました。

ただ、そんな状況から抜け出そうと決意しても、僕がしたことと言えばコンビニの求人誌を立ち読みし、フリーペーパーを持って帰る、ただそれだけでした。

その当時の自分はどんな会社を探していたかと言うと

  1. ひたすらお金が稼げる会社
  2. 定時で上がれる会社

の2点です。こんな条件の会社なんてそうあるわけないのですが、本気で探してました。今思うと甘々です。

ただ、そんなある日のこと、いつもと同じようにコンビニで求人誌を立ち読みしていると、ある広告が目に止まります。

「19歳:月収45万円」

僕は最初、意味が分かりませんでした。

なぜなら、当時の僕のバイト代の最高月収が15万円だったというのと、自分より年下で、この金額をもらっている事実が信じられなかったからです。

僕は仕事内容も何も調べず、電話をしていました。そして面接をしてもらうことになります。

この何も考えずに電話をした会社が、人生を変える出会いをする、1社目の会社になるとは、その時は1ミリも予想していませんでした。

僕は「社会勉強になればいいな〜」「月収45万円の正体を知りたい!」という安易な考えを持って、面接に挑みました。

その面接で何を話したかは全く覚えていませんが、一つだけ覚えていることがあります。

それは「目の前に現れた人が、めちゃめちゃかっこよかった」ということです。

その人は26歳にして九州支社長に任命され、月収300万円を稼ぐ優秀なビジネスマンでした。

僕は会った瞬間、「この人だ!」と思いました。「この人になれたら人生が変わるかもしれない!」と、心の底からそう思いました。

しかし、僕は「1社目でこんな良い会社に出会ったのだから、このままやっていれば、他にももっと良い会社に出会うだろう」という理由で、そこで働くことを一回断りました。

そして、またコンビニで求人誌を立ち読みする日々を送りますが、1社目以上に心踊った会社は見つかることなく、1か月が経っていました。

考えた結果、自分から断ったにもかかわらず、もう一度あの支社長に会うことを決め、なんとか面談をこぎつけ、改めて支社長に会いました。

会って話を聞いてるうちに、やはり「目の前に座ってるこの人みたいになりたい!」と確信し、その会社に入社することを決断します。

【21歳~26歳】最下位からトップ営業へ、そして起業

会社のお荷物の中のお荷物

支社長に憧れて入社を決意しますが、入社してからこの会社が2年目のベンチャー企業で営業代行をやっていると初めて知りました。

また、その会社で働いている人も、みんな若かったです。

にもかかわらず、みんながみんな「起業したい」「社長になりたい」「絶対に年収1,000万稼ぐ」と言っていて、僕は本当に驚きました。

僕が所属していたのは九州支社で、他にも大阪と金沢にもオフィスがありました。そして本社のある大阪で行われた全社会議に参加しました。

そこでトップ営業マンの人たちが手渡しで多くの給料を渡されているのを見て、さらに衝撃を受けました。

「結果を出せば、本当に人生が変わるかもしれない」

入社した当初は、本気でそう考えていました。

しかし、最初の3か月くらいは「人生変えてやる!」と頑張っていましたが、先輩たちの悪い癖が移り、次第にサボるようになっていきました。

環境は本当に大事です。

その結果、まず業績が悪すぎて九州支社は1年でつぶれます。そしてそういう状況でサボっていたので、その業績の悪い九州支社の中でも僕は最下位でした。

そして九州支社はつぶれました。

ですが、その時社長が東京支社を立ち上げ、社長自ら東京に乗り込んでいくということになり、社長と面談する機会をもらえました。

この面談も今思うと大きな転機になったな、と思います。

社長と面談をし、ボロカスに言われて、涙しましたが、最後の最後に、社長から「もう一度やり直す気があるなら、一緒に東京に行こう」という話を受け、入社時に抱いていた「人生を変えようと思って就職したんだ」という想いを再燃させ、お荷物の状況から、本気で這い上がりたいと改めて思い直します。

そして、そのためには東京支社に行くしかない、と思い、社長と一緒することを決断しました。

東京支社に移り、トップ営業マンへ

その東京支社で任された仕事は、飛び込み営業でした。

その時自分は「ここでやらなければ人生終わる」と本気で思ってましたので、ひたすら行動し続けました。

具体的には、みんなが100件アポを取るなら、自分は200件300件行い、周りはタバコ休憩で休んでいる時も、休まず走り続けたのです。

その結果、当時扱っていた商材に関して、部署のリーダーが一日5件取ったらすごい、と言われていた中、1日20件という数字を出し続け、1ヶ月に354件の契約を取ることが出来ました。

当時は朝8時に出社し、夜中の1時2時まで仕事をしていました。

長時間労働を推奨するわけではありませんが、それだけ覚悟を持って行動しないと結果なんて変わらないんだな、というのを感じました。

そうしてトップ営業マンへと上り詰めた僕なのですが、その頃から電話が鳴り響くことが多くなります。

誰からかというと、お客様からではありません。東京以外の支社の社員からの電話です。

「どうやったら件数を取れますか?」「数字を出すには何が必要ですか?」ということを、頻繁に聞かれるようになりました。

この経験から、「結果を出せばすべてが変わる」ということを確信しました。

「結果を出せば、周囲の自分に対する評価も変わり、扱いも変わる。何より仕事が本当に楽しくなった」と感じていました。

そして、それまで自ら指揮をとっていた営業部から社長が離れるということで、誰が営業部を統括するか、という話が持ち上がり、僕がその役割を任されることになりました。

マネージャーになり、紆余曲折がありながらも、組織としても結果を出すことができました。

初めての起業!待ち受けていた挫折

こうして入社してから4年2か月が経つ頃、何と会社が黒字倒産します。

僕の会社は営業代行を行っており、ずっと売上は挙げていました。

しかし、自社の製品開発に経費をかけてすぎてしまった結果、商品を仕入れるお金が無くなってしまったのです。

その結果、黒字倒産することになりました。

僕は突然のことに動揺しましたが、当時の社長のご厚意もあり、キャリアカウンセラーや人材会社のエージェントから、とてもいい条件の会社を紹介してもらっていました。

しかし、僕はこれを全て断ります。

なぜなら、会社の尊敬する上司2人に、「一緒に会社やらないか?」と声をかけてもらったからです。

会社に勤めて毎月安定した給料が入ってくるに越したことはないと、思っていましたが、それとは逆に、心の奥底では、尊敬する上司2人と「自分の力を試したい!」とも思っていたのです。

結果、就職するのを蹴り、上司2人に乗っかる形で、25歳で会社をおこしました。

これが初めての起業です。

先に結果を伝えると、会社を立ち上げて半年も経たないうちに、自分1人だけ利益を出せなくなって、会社に居場所がなくなりました。

当時僕らは、広告代理店として会社を起こしたのですが、世の中の社会情勢は、リーマンショックや金融危機が起きた頃で、それによって世の中の企業は広告予算を削り始めました。

会社としては広告に金をかけている場合ではない、と考えだすようになり、今まで当たり前のように予算を落としてくれた企業が徐々に減り始めました。

しかし、そういう状況でも上司の2人は、どこからか必ず件数を確保し、予算を取ってきます。頭を使って色んな企画や方法でお客さんの心をつかんでいたのだと思います。

ただ、残念ながら当時の自分には、そんな方法も提案力もありませんでした。

今まで自分は、ただずっとがむしゃらに足や量で稼ぐ営業しかやってこなかったので、何もできませんでした。

しかも、当時は無意識的に、市場のせい、環境のせい、サービスのせいにし「何で自分だけこんなことになるんだ」と思っていたので、この結果は仕方ない、自分は悪くない、くらいに思っていました。

今振り返ると、前の会社では、最下位からトップ営業になり、事業部を見る立場になり、組織としても結果を出すことができ、その実績が、心に油断や傲慢さを生み出しているのは間違いありません。

完全に天狗になっていました。

自分が結果を出せて天狗になれたのは、社長が全ての環境や商品を用意してくれて、全てお膳立てしてくれていたんだ、とこの時気づきました。

僕が取れたトップは、作られた王様だったのです。

社会から完全に存在が消える…

こうして自分1人だけ利益が出せなくなります。

その結果、元々はとても仲が良かったのが、半年後、まず、挨拶が完全に無くなりました。僕という存在が完全に透明になった瞬間です。

そこから会話も無くなっていきます。同時に、この社会から『僕』という存在が無くなりました。

小学校低学年はいじめられていたこともありましたし、反対に高学年はいじめていました。今思うと、とてもひどいことをしていたと思います。

しかし、この時、まだいじめられてる方がマシだ思いました。いじめられるということは、どんな形であれ「存在」が認められているからです。

また、このような状況になると、体に影響が出てきました。

まず朝起きて体が動きません。僕は全力で起きようとし、体を動かします。けれど、体はびくともしません。

体がいうことをきかないのです。

僕の心は「会社に行っても自分の居場所は無い。件数も取れないし、もうどうすればいいか分からない」と感じていました。

心が病んでしまうと、体にも影響するのだということを始めて経験しました。

僕はこの時、「こうして人はうつになって、自殺していくんだろうな…」と思いました。

こうして僕は、生きる意味を見いだせなくなっていきました。

ですが、こうなってしまった原因は、上司のせいでもお客さんのせいでも金融危機のせいでもなく、ただ自分に力や能力がなかっただけです。

ここは誤解しないでほしいです。

この状況を生み出したのは、完全に自分のせいなのです。

それでも逃げちゃだめだ、と思い、なんとか通っていましたが、約1年経ち、このままここにいたらもっとおかしくなる、と限界を感じ、最終的に、自分から辞めますといって、会社を去りました。

上司の2人からすると、逃げたように映ったかもしれません。

しかし、僕は精神的にだいぶ参っていました。

【27歳~29歳】僕は弱い人間

ベンチャーしか知らない転職活動

こうして僕は、3社目を探し、転職活動を始めました。

学歴もコネも、お金すらない自分は、当時27歳。

ここで頑張らないと本当にお先真っ暗だと思い、もう一度自分を奮い立たせました。

そして、転職活動に際して、

  1. 与えられるのではなく、自分で取り組んで成長する環境がある
  2. 経済の流れを知り、お金の仕組みが学べる環境である
  3. 未経験の大手企業に行き、回っている会社の仕組みを知る

という、3つの軸を持って、臨みました。はな

そんな中、エージェントに紹介されたのが、某大手外資系保険会社の社長さんでした。

保険には興味がありませんでしたが、社長から話を聞けば聞くほど、3つの軸は気リアしている、と感じ、しかもその社長は年収数千万ほど稼いでいるそうで、なおかつ、かっこよかったので興味を持ちます。

ですが、当時は、少し迷っていました。理由は「完全成果報酬型の給与形態」だったからです。

これがずっとひっかかっていて、僕自身とても怖く感じました。最初の月は20万円前後のお給料ですが、この固定給は、月々下がっていき、半年後には0円になり、完全に成果報酬になります。

起業失敗後ということもあり、即答することはできなかったのです。

それでも、自分の本来の目的である3つは唯一揃っていて、踏み込めなかったのは給与のみだったので、「ここで腹をくくらなくてはどうする。人生変えるんだろ?」と自分に言い聞かせ、結局、某大手外資系保険会社に入社することを決断しました。

ひたすらサボってた保険営業マン時代

こうして、27歳から29歳まで某大手外資系保険会社でお世話になりますが、結果として、この間、全く働かなかったのを覚えています。

情けない話、人生で一番働いていなかったと思います。

その理由としては、外資系の組織が全てそうではないので、ここは誤解しないで欲しいのですが、当時の僕の会社は、完全成果報酬型で、報酬に関して、やらなければ下げられるし、やったら天井なしで上げる、というものです。

そのため、マネジメントについては、完全放置プレイで放任主義というスタンスで、毎日朝の朝礼だけあって、そこからフリーの時間になり、各々自由に営業活動を行っていました。

1社目のベンチャー企業では、上司とのロープレや研修もあったので、大きな違いを感じていました。

そんな中、僕がどのように働いていたかというと、半年を過ぎたころには、朝礼が終わったらすぐに家に帰るか、もしくは漫画喫茶に行くしかしていませんでした。

「人間は性弱説である」という言葉もある通り、本当に弱い生き物だと思います。

僕がその典型的な例でした。

そんな自分は、放任主義の組織で、全く行動しませんでした。

最初は「人生変えてやる!」と燃えていたにもかかわらず、保険の営業マンは嫌われやすいということも重なり、徐々に熱意もなくなっていきました。

それでも、1か月のうちに数件は契約を取っていましたが、そんな状況では、全く食べていけません。

それでどうしたのかというと、仕事に力を入れ、商談件数を増やしたのではなく、プライベートで飲み会やコンパを開きまくりました。

本業には全く力を入れず、他で小遣い稼ぎをしていたのです。昼間はさぼりにさぼり、夜の副業に力を入れる、という生活がここから始まります。

結果、当時やっていたパーティーで今のビジネスパートナーとも出会えたので、無駄なことはないと思いますが、どちらかに完全に振り切ることもなく、ずっと中途半端な日々を過ごしていたのです。

その理由としては、たとえわずかでも、本業からの収入が無くなったら、いよいよ生きていけなくなるんじゃないか、という恐怖があり、辞めるに辞めれなかったからです。

最初こそ、順調に二足のわらじを履いていましたが、サボり続ければ、当然お金も稼げなくなります。結果、夜の時間や深夜帯に、バイトを掛け持ちするようになり、体力的にもキツくなっていきます。そして、そのうち、徐々になぜ自分が今ここにいるのかが分からなくなっていきました。

結果、掛け持ちしていた夜の時間帯のバイトも辞め、保険の仕事についても、首を言い渡される前に、自分から辞めました。

【30歳】そして人生最大のどん底へ

無職・無収入のリアル

その結果として、30歳にして、無職かつ無収入になりました。

100円のコーヒーすら買えない状況になり、借金をしなければ生活すらままならない状況でしたが、僕はすぐに仕事を探し始めることはありませんでした。

なぜなら、家で一人だったからです。

仕事をしていなければ、出社義務はありません。

バイトもすることはなく、そしてひたすら自分に甘い人間だったため、仕事しなければならない、稼がなければならない、頭では分かっているのですが、家の中には誘惑しかありません。

まさに、「人間は性弱説である」と改めて思いました。僕は何も変わっていなかったのです。

朝起きて、「明日があるからいいでしょ、何とかなるよ」と思っていましたが、結局、何も変わりませんでした。

そうして無職の自分はカードを使いまくり、友人、知人、家族にも、お金借りまくって、周囲に多大なる迷惑をかけてしまいました。

父親の会社の倒産から始まり、結構な失敗をしているのにも関わらず、最終的に30歳で一番のどん底に落ちてしまいました。

ただこれらは全て、自分で引き起こしてしまったものです。1人だったから、何も行動できず、ただ無駄な時間を過ごしていました。

ただ、周りはそれほど甘くありません。いろんなところでお尻に火がついたどころではなく、燃え盛っており、もういよいよなんとかするしかない状況でした。

本当につくづく自分は、強制的に機会を与えてもらえない、と行動できない人間だな、と思います。

ですが、その結果として、改めて、どん底の状況から、もう一度這い上がろうと真剣に思い直し、自分には何が残っているのだろう、と考えるようになります。

僕には、学歴はありません。お金を持っていなければ、守るべき家族もいません。よく切れる頭もなければ、新しいビジネスを生み出すこともできません。みんなが驚くような実績も持っていません。

そうして考えた結果、やっぱり、僕には、営業しか残っていないことに気づきました。

「営業力を使って、もう一度立ち直るしかない」

そう確信し、覚悟し、重い腰を上げました。

かろうじて某大手外資系保険会社時代に行っていたパーティーで、個人事業主や社長さんのつながりも持っていたため、その人脈をフル活用し、「何か僕に売らせてくれる商材があれば売らせてほしい」と、そのネットワークで発信していました。

その結果、大学生向けにビジネスを教えている人と繋がり、「営業学びたい学生がいるから、そこで営業を教えれば?」ということを提案されます。

この出会いが正真正銘、僕の人生を変えてくれた出会いでした。

【35歳】現在の僕

現在の僕は「しるべ」という会社を起こし、大学生を中心とした、人材育成、キャリア支援の仕事をしています。

「自分の力で道を切り拓く力」を付けてほしい、少しでもその手助けができれば…と思い、「道しるべ」という言葉から、ヒントを得て社名を付けました。

今の学生は、本当に自分がやりたいことがわからない、という子たちが多いように感じています。

でもそれは、僕も全く同じでした。

僕はずっと強制的にやらされないと動けない人間で、常に誰かから機会をもらって、それでも動けない時も多くありました。

人間は本当に弱い生き物です。

だからこそ、現在、僕に関わってくれている学生には、「まず行動しよう」というメッセージをずっと送り続けてます。

それは、自分と同じようになってほしくないからです。

今思えば、過去の経験は、今の自分にとって大切なギフトであるように思います。

なぜなら様々なことを経験した僕だからこそ、人々に伝えられることがたくさんあると感じているからです。

自分自身の人生をこうやって振り返ってみて、改めて、自分の力だけで切り開いてきたものは何もない、と確信しています。

こんな僕でも、今は毎日楽しく生きています。

もし、ここまで伝えてきた僕の経験が、あなたの行動を後押ししたり、勇気付けることができたのであれば、幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

佐々木 英雄
執筆者

佐々木 英雄

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小早川 渉

小早川 渉

パーソナルトレーナー、パワーリフター。パワーリフティング全日本選手権11度優勝。トップレベルの現役選手でありながら、ReebokONEアンバサダー、ゴールドジムオフィシャルパーソナルトレーナーとして活躍。 数々のトップアスリートを指導している。

剱持 百香

剱持 百香

有名美容家の元でアシスタントを務め、現在はVOCE/anan/michillなど様々なメディアで美容ライターとして活躍中。特に紫外線ケアを徹底しており、美白命の紫外線マスターとしてインスタグラムのフォロワーは9000人以上。日本化粧品検定1級、化粧品成分検定1...

瀬川陣市

瀬川陣市

写真家・講師・ライター。 会社員を経て渡米、日本語教師を勤めたのち、美術大学に入学し写真を学ぶ。 ドローンでの動画撮影にも着手。長崎県五島市アンバサダーに就任し、写真動画による地域興しにも貢献。 全国商工会議所や企業での講演、メディア出演な...

疋田智

疋田智

自転車で通勤する人を意味する言葉「自転車ツーキニスト」の名付け親。 メールマガジン【疋田智の週刊自転車ツーキニスト】では自転車通勤に関するノウハウを発信。TBSラジオ「ミラクル・サイクル・ライフ」(日曜よる6時半からTBS・ABC2局ネット)パーソ...

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